10月の聖句
10月の聖句
ヨハネによる福音書 17章21節
人間は一つになることはできない。
誰でも自分をもっている。自分がいて、他者がいると思っている。しかし、他者を認識したとき、「わたし」を認識するのである。幼児の認識は、最初は世界である。世界と自分自身との境はない。世界はわたしであり、わたしは世界である。ところが、次第に自分と親との境が見えてくると、自分を認識し始めるのである。
人間は、他者から始まって、わたしを認識するようになる。にも関わらず、自己を最初に置く。こうして、自己と他者を区別して、世界が広がって行く。多くの他者がいる世界が世界である。この世界を、最初のように一つにしたいと思うのが人間である。その場合、わたしの世界にしたいという思いになるのである。一つになるということもそのような思考に従って、理解することになる。結局、人間は他者を自分の世界に同化させることによって、一つになろうとするのである。これが進行すれば、全体主義に陥ってしまう。
ヨハネによる福音書でイエスが言うこの言も同じように考えられてしまう。イエスの世界に同化させることだと。しかし、そうではない。皆が同じ考えになることはない。皆が同じ形になることもない。それぞれに違う存在として認められつつ、認めてくださるお方において、一つになるのである。
神の世界が一つであるのは、違う人間を造り、違う領域を造り、違う世界を造ったお方が神として一つであるからなのだ。神にあって、一つになるのであって、我々人間が一つになろうとすることではない。
子どもたちがそれぞれのいのちを神から与えられたものとして生きるとき、神が子どもたちを一つになさる。ここに生きるとき、子どもたちは神のこどもとして生きていくであろう。違いを越えて。
チャプレン 末竹十大