10月の聖句
10月の聖句
コロサイの信徒への手紙 3章14節
「愛」はわたしたち人間にはないものです。わたしたち人間の「愛」は執着であり、情であり、自己に引きよせるように働くものです。すべてを完成させる愛は、自分に引きよせることはなく、「すべて」のために働くものです。すべての完成を目指していますので、「愛」自体は自己を主張しないのです。この愛はキリストの十字架の愛を表しています。
キリストは十字架に死ぬことを通して、わたしたち人間が神の意志に従って生きることができるように「愛」で包んでくださいました。この「愛」に包まれることを、この手紙の著者は「愛を着なさい」と語っています。「愛を着る」と言うことは、わたしたち人間には「愛」がないということを語っているのです。自分を捨てることができず、すべてを自分の利益のために引きよせてしまうのが人間なのです。このような人間の在り方を聖書は「罪」と呼んでいるのです。
わたしたち人間は自然的には「罪」のままに生きています。この「罪」を認めた存在がキリストの愛を受け取るとき、わたしたち人間には「罪」があっても、キリストの「愛」が働くのです。
キリスト教自由保育は、子どもたちが「キリストの十字架の愛を着るように」支えていく働きです。子どもたちを神の愛が包んで、自分のためではなく人のために生きるようにしてくださいます。子どもたちが毎日神の言を聞いて、祈る中で、彼らはキリストの愛を着る存在とされていきます。教師たちは、この信仰の内に、神に仕えているのです。親も教師も子どもたちを矯正することはできません。神の愛だけが子どもたちを育む力です。わたしたち大人も子どもたちが神の愛に包まれ、育まれるように祈り、支えていきたいと思います。
チャプレン 末竹十大