8月の聖句
8月の聖句
マタイによる福音書 6章28節
「注意して見る」というのは「注意して学ぶ」ということです。わたしたちが「見る」とき、「注意して学ぶ」ということはありません。むしろ、ぼんやりと見ていることが多いものです。学ぶように見るということは、見たものを分析し、自分で考え、世界を知っていくことです。野の花を見るときも、「きれいだな」と見ることはあっても、「この花は神さまが育て、装っている」と見ることはありません。イエスは、そのように「注意して学ぶ」ことを勧めています。
イエスのこの言葉は「思い悩むな」という教えの中で語られた言葉です。「思い悩む」というギリシア語は「分裂している思い」という意味です。分裂しているということは、思いがあっちに行き、こっちに行き、定まらないことです。定まらない思考は揺れ動いて、何も考えられないことになります。気になることがさまざまに現れると、それに気を取られて、今まで考えていたことがどこかに行ってしまうのです。気を取られるものが多いと思考は分裂して、結局何も考えることができなくなります。こうなってしまっては、わたしたちは人間として生きているとは言えないのです。
パスカルが「人間は考える葦である」と言いましたが、考えることができるのが人間という存在です。考えなくなると、愚かになって、人の言うとおりに動く人間になってしまいます。ナチス・ドイツの時代に、その手先となって働いた人たちは考えなかったのです。強制収容所で死んでいく多くのユダヤ人たちを見ても、何も感じなくなっていました。人間性を失っていたと言えます。
わたしたちのこどもたちは考える力を与えられています。彼らも葦のように弱い。しかし、考えることができる。だからこそ、わたしたち大人も考え、こどもたちが考えることができるように支えて行く者でありたいと思います、野の花から始めて。
チャプレン 末竹十大