学校法人愛知ルーテル学院 名古屋ルーテル幼稚園

2019年度の聖句

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今月の

神は何でもできる。

マタイによる福音書 19章26節


 何でもできるのが神さまである。イエスは当たり前のことを言っているように思える。この原文は「神の許ではすべてのことが可能なこと」である。その前にはこうある。「人間の許では、このことは不可能なことである」と。「このこと」とは、人間が救われることである。それは、受動態で生きるようにされることであり、神のいのちを真実に生きるようにされることだとイエスはおっしゃったのである。

 神が何でもできるということは、不可能がないということであるが、神は死ぬことができるのであろうか。死ぬことができなければ、何でもできるとは言えないのである。しかし、イエスが十字架で死ぬことは神の事柄であり、神が死ぬことであった。それゆえに、神は何でもできるということを十字架が語っているのである。

 不可能がない神の世界が神の国や天の国と呼ばれるが、また永遠のいのちとも表現される。永遠のいのちとは永遠に生きるいのちという時間的な永遠ではなく、時間を超えたいのちのことである。時間的なものに拘束されないいのちを永遠のいのちと呼ぶのである。それは神の許にあるいのちのことである。永遠のいのちは人間的な不可能性を越えたいのちなのである。

 このいのちは、我々が獲得することができないいのちである。もちろん、我々のいのちも我々の所有ではないし、獲得したものでもない。神に与えられたいのちである。この認識に立つとき、我々は時間に拘束されたいのちの中でも永遠のいのちに生かされていると言える。神によって生かされているすべてのいのちは神の可能を生きている。我々が人間として不可能であることを認識し、神に生かされていることを信頼するとき、我々は神の可能の世界に入る。自分にできないと思っていたことも為させてもらえるのである。ただし、自分のためにではないが。

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