2月の聖句
2月の聖句
ヨハネによる福音書 3章21節
「真理」とは隠れなくあること。隠れているものは「真理」ではない。「真理」を「ありのまま」と考えることもできるが、それは「ありのまま」で良いということではない。悪い姿も「ありのまま」である。「真理」とは、悪いものも隠すことなく、神の前にさらけ出し、自らの悪を認めて、神に赦しを乞う姿を言うのである。
自分の思い通りにすべてを動かそうとする姿は悪であることは誰もが分かっている。しかし、動かそうとしている本人は自己弁護して、「ありのままだから良いのだ」と抗弁するかもしれない。人間は「ありのまま」で良いわけではない。悪いのだ。その悪い姿を認めるならば、ごめんなさいと言うであろう。ところが、抗弁する者はごめんなさいとは言わない。自分の悪を認めないのである。もちろん、悪であることを認めているから、それを認めてしまえば、自分の思うようにできないから認めないのではあるが。このような人間は変わることはできない。それが「闇」なのであり、隠れていること、つまり「真理」とは正反対の姿なのである。だから、「真理を行う者は光の方へ来る」と言われている。
真理を行うとは、自らのありのままの悪を認めることである。そのときには、その人は光の方へ来ている。そして、光となっている。光の方へ来ないならば、光を反射することなく、闇の中に隠れることになる。こうして、いつまでも自己満足の世界に留まることになる。永遠なる闇。我々大人は、この闇をこどもたちに教えてしまうのだ。それゆえに、我々大人は自らの闇を知らなければならない。こどもたちが光の子として生じるためにも、我々大人がありのままの罪深い悪を認めることが必要である。こどもたちはその我々を見て良きものを学ぶであろう。
チャプレン 末竹十大