学校法人愛知ルーテル学院 名古屋ルーテル幼稚園

7月の聖句

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今月の

神は我々と共におられる。

マタイによる福音書 1章23節


 インマヌー・エルというヘブライ語は「我々と共なる神」という意味である。「我々」とは誰なのかと言えば、「神」が共にいてくださると信じる者たちである。従って、「我々と共なる神」は信じる者と共なる神ということになる。信じていない者たちとは共にいてくださらないのだろうか。いや、信じていない者たちとも共にいるが、信じていないのだから「共にいない」と同じことなのである。

 では、「信じる」とはどういうことなのか。「共にいる」ことを証明してくれたならば信じようと思うものである。その思考は、人間社会一般の考え方である。証明もされていないことを「信じる」などということは愚かなことだと思うからである。まして、何の証明も保証もないことを信じたところで、自分には何の益もないと考える。それは賭のようなものだと思える。自分で確認できることだけが確かだと思うからである。聖書は、これを人間の罪と呼ぶ。

 この言葉が語られたのは、人間たちが自分の考えで、「あちらにつけば大丈夫だろう」、「いや、こっちの方が安心だ」と力ある人間につこうとしていた状況に対してであった。力ある人間だと思っているのは今だけ、後にはその人よりも強い人が現れて、滅ぼされてしまうであろう。このような状況で右往左往することの方が不確かな思考であると、預言者イザヤは語ったのだ。むしろ、いのちの根源的な与え手である神に信頼しているようにと勧めた。

 我々人間が如何に周りの状況に振り回されるかを知っているのが神であり、預言者はその神の意志を人間に伝えた。我々保育者、保護者は、社会の状況に振り回されてしまうもの。しかし、如何なるときにも、神が善きものを与えてくださると信頼して生きるとき、我々自身もこどもたちも揺さぶられることなく、与えられたいのちを喜び生きることができる。

チャプレン 末竹十大

年主題

さあ、漕ぎだそう 奏でよう