8月の聖句
8月の聖句
(マタイによる福音書 18章 20節)
人の誤りや、間違いと思えることを見たらどうしましょう。長いものに巻かれるか、感情的に諫めそれを暴き批判するか? キリストは「行って二人だけのところで忠告しなさい」と言われました。妥協でも、攻撃でもなく、「愛のある忠告」の大切さです。「愛は何でも受け入れて赦してあげること」と思えば、大違い。そのお話の最後に、「二人または三人がわたしの名によって集まるところには、わたしもその中にいる」と言われました。正しいことを見極める目と、放ってはおけず見守る目の、「中に立ってくださる愛のキリスト」の両面を感じる言葉です。
家庭や幼稚園でも小さなトラブルはあります。その度に「またケンカか!」と思ったり、顔を曇らせたりするかもしれません。大声で無理にやめさせたり、いつも両成敗で終わらせたりせずに、気持ちを聞いてあげて、謝ったり赦してあげたりへ促します。親や先生も中に入りますが、キリストもいてくれます。正しい目と優しい目の両方で見守り、愛と優しさを教えてくれます。このキリスト自身が、そう生き、批判されてもそれらを飲み込み、赦しながら十字架で死んでいかれたのです。見た人は「人の罪深さと神の愛」に目覚めました。それがキリスト教の始まりです。
この「対話と和解の力」を学ばないで大人になったらどうでしょう。パフォーマンスもありますが、選挙や外交で批判や脅しみたいな言動を連日見ると、心が痛くなります。これでは争いや戦争、復讐の連鎖が絶えません。
幼稚園は大切なことを学ぶ「和解のための小さな学校」でもあります。私たちもいっしょに、学びながら、生きていきましょう。
園長 徳弘浩隆