11月の聖句
11月の聖句
テサロニケの信徒への手紙一 5章18節
感謝するという言葉は、ユーハリストーというギリシア語である。ユー「良く」とハリストー「恵む」から出てきている。「恵む」とは神様から与えられるという意味だから、「良く恵まれている」ことを表している言葉。「感謝する」とは「良く恵まれている」ことなのである。では、何が良く恵まれているのだろうか。
「どんなことにも」と言われている。これは「すべてにおいて」が原意である。如何なることにおいても良く恵まれているということを言い表すことが、ここで言われている「感謝する」という言葉の意味である。
我々人間は、自分の価値判断において「すべて」を分けてしまう。これは「良い」、あれは「悪い」と分けてしまう。自分にとって「良い」と「悪い」があると考えるからである。しかし、我々が「悪い」と考えたことが必ずしも「悪い」ことではない。誰かには「良い」ものであるはずだということではなく、誰にとっても「悪い」としても神が起こし給うことは「良い」ものである。何故なら、神がこの世界を造り給うたとき、すべてを見て「極めて良し」と言い給うたからである。
こどもたちにとって「良い」ことだけを求めるのが親である。しかし、親の価値判断が絶対であることはない。親が「良い」と考えたことがこどもたちには「悪い」結果を起こしてしまうこともある。その反対もある。我々人間の考える価値判断は非常に狭い。それゆえに、神が与え給うものは「良い」ものであることを親は教えてあげる必要がある。神への信頼を生きているならば、与えられたものは「良く恵まれている」ものとしてこどもたちを生かしていくであろう。どんなことにも感謝して、こどもたちが良く生きていけますように。
チャプレン 末竹十大