学校法人愛知ルーテル学院 名古屋ルーテル幼稚園

2月の聖句

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今月の

あなたがたはキリストの体であり、また、一人一人はその部分です。

コリントの信徒への手紙一 12章27節


 わたしたちの体は強い部分ばかりではなく、弱い部分があります。幼い頃は、弱い部分を強くすれば良いと親は思うものですが、歳を取ってくると強くできなくなって行きます。弱さを受け入れて、弱さと共に生きるようになります。

 使徒パウロという人は、自分の体の中に「弱さ」を見つけて、神さまに弱さを取り除いて欲しいと願いました。そのとき、彼はキリストの声を聞きます。「わたしの可能とする力は弱さの中で十分発揮されるのだ」と。その声を聞いて、彼は「弱さを誇ろう」と言いました。弱さには神さまの力が宿っているのだと理解したからです。その後、彼は自らの弱さと共に生きる者とされました。

 パウロが書いたこの手紙の言葉の前には「誰もが弱いと思っている部分が、備わっている必要のある部分なのだ」と記されています。弱い部分は足手まといだと切り捨てるような考え方は、自分のことしか考えない罪が潜んでいます。人を切り捨て、排除してしまう罪を抱えているわたしたちに「備わっている必要がある部分」、それが弱い部分なのだとパウロは言うのです。

 弱さを抱えているこどもたちは、一人ひとりでは生きて行くことは困難です。だから、彼らには助ける者が必要だとパウロが言うのだと、わたしたちは考えてしまいます。しかし、こどもたちの備わっている必要は、彼らが助けられるためにあるのではなく、自分一人で生きていけると思い込んでいる存在のためにあるのです。強さだけが良いものではない。弱さがなければ、本当に生きることができないのです。体全体が弱さも強さも持っている自分自身を大切にするために弱さは必要なのです。こどもたちの弱さはその子だけのものではありません。世界という体のためにあるのです。

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