学校法人愛知ルーテル学院 名古屋ルーテル幼稚園

8月の聖句

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今月の

平和を実現する人々は、幸いである、その人たちは神の子と呼ばれる。

マタイによる福音書 5章9節


 「平和を実現する」「神の子」とはどのような人たちなのであろうか。特別な良い人なのか。ここで、イエスが語っておられる人たちは、社会から排除された人たちである。病人は病気が感染すると言われ、罪人と言われる人たちも罪が感染すると考えられた。そのような人たちを排除することで、社会を病気から守り、罪から守るという考え方であった。今でも、やはりそのように考えてしまう。

 「平和」についても、自分たちを攻めてくる敵を入れないようにすることで、国が「平和」であると考える。それは自分たちを守ることである。敵がいることで、自分たちの国が脅かされると考えていくと、戦争で駆逐することに至る。イエスがおしゃっている「平和」はそのような平和ではない。「神の子」が実現する「平和」とはどのような平和なのか。

 一般社会の中で、排除されてきた人たちが「神の子」と呼ばれている。この人たちがどうして「神の子」なのであろうか。病人、罪人として社会から排除され、捨てられているような人たちが「神の子」と呼ばれているのである。排除される側から世界を見る視点があってこそ、「平和を実現する」存在となることができるとイエスはおっしゃっているのである。

 我々と我々のこどもたちが、平和を実現する神の子として生きて行くためには何が必要なのか。排除される側に立つということは自分からは選択できない。ただ、そこに置かれるというだけである。置かれたところを引き受けて生きるとき、平和への一歩が始まっている。さらに、排除する側に立たないようにと心がけるということも必要である。我々大人たちも、自分たちが排除する側に立たないように心がけながら、こどもたちと「平和」を生きる道を求めていきたい。

チャプレン 末竹十大

年主題

さあ、漕ぎだそう 奏でよう