学校法人愛知ルーテル学院 名古屋ルーテル幼稚園

3月の聖句

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今月の

今は主に結ばれて、光となっています。

エフェソの信徒への手紙 5章8節


 「今、しかし、光、主のうちで」と手紙の著者は語っています。これは「光になっている」のではなく「光である」ということです。「である」ということは変化することではなく、そのままであることを示しています。手紙の著者は、エフェソの信徒たちが「光である」と言うのです。それは「主のうちで」の現実なのだと。

 わたしたちは、本来「光」でした。しかし、罪を犯して、神さまから隠れたわたしたちは「闇」になってしまったのです。他者を闇に引きずり込み、闇を広げる存在となってしまいました。神さまは、そのようなわたしたち人間を「光である」ことへと回復させるために、イエス・キリストを遣わしてくださいました。イエス・キリストに包まれるならば、わたしたちは神さまに造られた原初の姿を回復することができるということです。

 光であったのに闇になってしまったとすれば、光であることは失われていないのです。闇になっているのは、光である事実を忘れてしまっているからです。この「光である」事実とは、自らの「闇」を認めるときに明らかになります。なぜなら、闇であることを認めるとき、闇から離れているからです。認めないとき、わたしたちは闇に隠れているのです。

 こどもたちも光です。彼らを闇に引きずり込むのは大人。わたしたち大人は、こどもたちが光である事実を生きることができるように守らなければなりません。そのためには、わたしたちが自らの闇を認める必要があります。こどもたちのありのままの姿を受け入れ、その子らしい姿を認めることで、こどもたちの光は輝くでしょう。彼らは闇に隠れることなく、光である事実を生きて行くことができるのです。わたしたち大人も光である事実を、主のうちで生きて行きましょう。

チャプレン 末竹十大

年主題

さあ、漕ぎだそう 奏でよう